50歳までにセミリタイアときどきソロキャンプ

私は現在45歳で、49歳12月までにサイドFIREをめざしています。

「深夜特急に思う」海外バッグパッカーの旅について⑤ギリシャ編(スタート地)

 

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アテネからマドリード

もう何年前になるでしょうか。私が19歳の時この本にあこがれてヨーロッパやアジアをバッグパック1つ背負って旅をしていました。25年たった今も強烈に記憶の断片に残り続ける、私の一生において欠かすことのできない旅の数々です。

 

「インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行ってみたい――。ある日そう思い立った26歳の〈私〉は、仕事をすべて投げ出して旅に出た。途中立ち寄った香港では、街の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまう。マカオでは、「大小(タイスウ)」というサイコロ博奕に魅せられ、あわや……。一年以上にわたるユーラシア放浪の旅が今、幕を開けた。いざ、遠路二万キロ彼方のロンドンへ!」

 沢木耕太郎著「深夜特急」より

 

<25年以上も昔のヨーロッパ貧乏旅行>

 大学の頃、沢木耕太郎さんの「深夜特急」に出会いました。インドのデリーからロンドンまで乗合バスで行くルポルタージュなのですが、当時学生だった私の脳裏に刻み込まれる内容でした。同じことはできないけれど、私はギリシャアテネからイタリア、フランスパリ、そして南下しスペインバルセロナからマドリードを終着点とし、旅を遂行しようと考えました。期間は決めずに、できるだけ自由に、ユーレイルパスを握りしめヨーロッパ放浪の旅はスタートしましたー

 

 学生だったので、アルバイトを重ね夕方から早朝まで働き、大学へ通う日々がスタートしました。旅のスタイルはとにかく予算は抑えて、できるかぎり長期にヨーロッパを巡ろうと考えておりました。

 

 もちろんたった一人の旅です。まずはヨーロッパの東に位置するギリシャへ向けて飛行機を乗り継ぎます。そう、スタート地はギリシャアテネに決定しました。到着時はちょうど7月始めで40度近く気温も上がってましたが、湿度が極端になく快適だったのを覚えています。

 

 スタート地にもかかわらず、結局ギリシャアテネから出るのに2週間ほど、アテネの街を歩き回りました。宿泊先はユースホステルで、いろいろな国の方々とかたことの英語で情報交換をし、アテネアクロポリスへ行ってみてみては神殿を眺めたり、また偶然、金メダリストのマイケルジョンソンにも出会いました。

 

 アテネの街は実に居心地が良かったんですね。何をするでもなく適当なカフェでフラッペを飲みながら、街ゆく人々を眺めては過ごした記憶があります。どちらかというと綺麗な街並みというよりは、アテネオリンピック前の町中工事だらけの印象でしたが、どことなく雑然としている中で遠くにそびえるアクロポリスが印象的でした。

 

 雑然さと、とてつもなく青い空、40度近い気温でも日本のようにまとわりつかない快適な湿度、このような条件が重なり私はアテネの町中を歩き続けました。

 ちなみに私は英語もフランス語もイタリア語もスペイン語も話せません。ほんとうにカタコトの英語とジェスチャーしか持ち合わせてませんでした。旅立つ前に考えたのが、フランスではフランス語で(英語を嫌う傾向がある?)、イタリアではイタリア語、スペインではスペイン語ということで、そんなに話せるわけないと考え、深く考えないことにしたんです。

 

 そして出発地点のアテネで思いもよらぬ2週間を過ごし、ようやくマドリードまでの旅をスタートさせることにしましたー  続く

 

 

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