もう何年前になるでしょうか。私が19歳の時この本にあこがれてヨーロッパやアジアをバッグパック1つ背負って旅をしていました。25年たった今も強烈に記憶の断片に残り続ける、私の一生において欠かすことのできない旅の数々です。
「インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行ってみたい――。ある日そう思い立った26歳の〈私〉は、仕事をすべて投げ出して旅に出た。途中立ち寄った香港では、街の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまう。マカオでは、「大小(タイスウ)」というサイコロ博奕に魅せられ、あわや……。一年以上にわたるユーラシア放浪の旅が今、幕を開けた。いざ、遠路二万キロ彼方のロンドンへ!」
※沢木耕太郎著「深夜特急」より
<25年以上も昔のヨーロッパ貧乏旅行>
大学の頃、沢木耕太郎さんの「深夜特急」に出会いました。インドのデリーからロンドンまで乗合バスで行くルポルタージュなのですが、当時学生だった私の脳裏に刻み込まれる内容でした。同じことはできないけれど、私はギリシャアテネからイタリア、フランスパリ、そして南下しスペインバルセロナからマドリードを終着点とし、旅を遂行しようと考えました。期間は決めずに、できるだけ自由に、ユーレイルパスを握りしめヨーロッパ放浪の旅はスタートしましたー
<イタリアを巡る>
夕暮れのフェリーから眺めるパトラ(ギリシャ)の街は穏やかで、日本にもあるかのようなそれほど大きくは無い港町のように感じました。ギリシャを離れる寂しさや、この旅初めての出国、フェリーチケットの入手など苦労したこともあり、フェリーの部屋へ戻るとあっという間に寝入ってしまいます。
そして次の日ー。イタリアのバーリへフェリーは到着します。私の記憶ではバーリのイメージはかなり薄く、それほど大きく無い街だったような気がします。ギリシャ・アテネのようにあてどなく歩き続けるわけもなく、フェリーで街に到着後すぐにローマへの列車を探しました。
イタリアではだいたい訪問先を決めておりました。ルートは南から北上し、東に位置するヴェネチア経由、ミラノから南仏へ抜けていくルートを選びました。
最初の目的地はローマ、そして中央に位置するフィレンツェ、東に流れてヴェネツィア、そしてイタリアの首都ミラノです。
バーリから列車にのり6時間、イタリアを代表とするローマの街へ移動します。列車に関してはユーレイルパス(ヨーロッパ列車を自由に乗れるパス)を持参していたので、予約などは不要でした。ローマに到着した私はさっそくカタコトの英語でユースホステルを探します。ところが、ユースホステルはなかなか見つけることができず、適当な安宿に泊まることにしました。価格も安く、快適な宿が多かったのが印象です。
おきまりのスペイン広場、カラカラ浴場、コロッセオ、真実の口、トレビの泉など観光地はほとんど回りました。実にイタリアらしい風景に出会える街でしたが、私にとってなぜか物足りなさを感じていました。コロッセオもスペイン広場もトレビの泉も・・また真実の口にも手を突っ込みましたが、アテネの街を彷徨い歩いたあの感覚にはなれませんでした。あまりにも観光地化されすぎている都会のローマが私のこの旅に合わなかったんだと後から思いました。
ローマ滞在を2日ほどで切り上げ、私はイタリアを北上しフィレンツェを目指すことにしましたー アテネのあの感覚が忘れられずに、その影を追っていたような気がします。 <続く>
apollooman.hatenablog.com